「彦根観光鳥瞰図」(原図:絹本彩色・彦根市蔵)・彦根城天守1階にて展示

近年、彦根で吉田初三郎(1884~1955)が紹介されたのは2007年の「国宝・彦根城築城400年祭」で行われた「彦根まちなか博物館」(彦根商工会議所事業部会)においてであった。アル・プラザ彦根会場での「近江鐵道コレクション」の中で、「彦根観光鳥瞰図」(原図:絹本彩色・彦根市蔵)・『近江鉄道湖東御案内』(個人蔵)が展示され、初日は、吉田初三郎研究家やファンが多く訪れている。

初三郎は、大正から昭和初期に起こった観光ブームを背景に活躍した絵師である。初三郎を別府亀の井ホテルの油屋熊八と共に記憶している人も多いに違いない。熊八は「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズをはじめ、温泉マークや日本で初めてのバスガイドを導入したことでも知られる人物で、初三郎に数多くの仕事を依頼している。集客をテーマに過去の事例を調べると、2人の名前に必ずといっていいほど行き当たるのである。
初三郎は、日本ばかりでなく満州・朝鮮・台湾を歩き、名所絵図(観光案内図)を描いており、その数は1600点以上ともいわれている。作風は独創的な鳥瞰図で、「大正の広重」と称され、また自らもそう名乗ることを好んだという。
「鳥瞰」は「英語」で「バーズアイ ビュー(bird’s eye view)」。地図図法のひとつで、上空から斜めに見下ろしたように描いたものである。現在は、コンピュータを使えば地球上のあらゆる地点を正確に観ることができる時代だが、初三郎が描いた鳥瞰図の方が解りやすいと感じるかもしれない。私たちが頭の中で考えている地上の風景を、初三郎が具現化し、「ああ、確かにこんなふうだ」と錯覚するかのようである。初三郎の鳥瞰図は描かれた風景画に必要な文字情報が記されている。そしてデフォルメされ描かれた風景こそ大切な情報を担っている。方角も、距離も、位置関係をも無視して描かれているにもかかわらず……である。

『近江鉄道湖東御案内(近江鉄道沿道及院線と諸国の関係)』(個人蔵)

初三郎のデビュー作は大正2年(1913)、『京阪電車御案内』だった。これが皇太子(後の昭和天皇)行幸の折に目に留まり、「これはわかりやすい」と言われ、献上されることになった。その後、初三郎は多くの観光用絵図の仕事を受けるようになる。
大正4年(1915)、近江鉄道が吉田初三郎に依頼し発行したのが、「彦根まちなか博物館」で展示された『近江鉄道湖東御案内』なのだ。多賀軽便鉄道から引き継いだ高宮~多賀間を開業した時に発行したもので、鉄路は真っ直ぐに伸び、最寄り駅より名所までの距離が記入されている。
鳥瞰図は印刷され配布されたものであるが、原画(原図)が存在するものがある。「彦根観光鳥瞰図」だ。彦根城天守の中に展示してあるのだが、振り返り足を止める人はいない。昭和20年代後半の彦根を描いたもので、当時の彦根を「大正の広重」の視線で鳥瞰することができる貴重な近代化遺産である。手前に彦根の都市が広がり、真ん中には彦根城、城の背後に琵琶湖遊覧船の航路が描かれ、対岸には比良山、比叡山。面白いのは昭和新道と銀座裏の外堀が描かれていることである。そしてそれを見れば、頭のなかで彦根は「ああ、そう、確かにこんなふうだ」と納得するのである。
現在でこそ初三郎は評価されているが、忘れ去られた時代があったためか、残念なことに、「彦根観光鳥瞰図」は素人の手で修正されている。経年変化で読むことができなくなった文字が上書きしてある。できるならば修復し、初三郎の構図で新しい彦根近代化遺産マップの作成を手がけたいものである。
吉田初三郎という絵師が描いた鳥瞰図もまた、彦根の近代化を物語る立派な遺産なのではないだろうか。