犬上川河口の沖合5キロ、湖の真ん中に浮かぶ島の名前は「多景島」。随分と不思議な島である。
長辺約240メートル、最大幅約80メートル。花崗岩が湖底から屹立し岩肌がむき出しになっている。「竹島」「嶽島」と記した時代があったという。江戸時代に彦根の荒神山から土を運び、木を植えたというから竹が群生していたとは俄には信じがたい。「嶽」の漢字は、ゴツゴツした山塊のピークで、山岳宗教の霊山のイメージがある。昭和57年(1982)から翌年にかけて行われた発掘調査では、平安時代に国家と関わった祭祀が行われたことを示す遺物も出土し、断続的に、そして連綿と島が信仰の対象であったことがうかがえる。いずれにせよ現在は、見る角度によって多様な景色に見えることから「多景」という字をあてる。
島には高さ約10メートルの「南無妙法蓮華経」の文字が彫られた「題目岩」と、高さ23メートルに及ぶ「五箇条の御誓文」を記した「誓の御柱」があり島の象徴となっている。
寛文元年(1661年)、長浜妙法寺の僧日清が彦根藩3代藩主井伊直澄の援助を受けながら島内に「見塔寺(日蓮宗)」を開山。日清は、3年の歳月をかけ「南無妙法蓮華経」の文字を彫った。井伊直弼が桜田門外で暗殺された時、「題目岩」は鮮血をにじませたという不思議が伝わる。
そして、そびえ立つ「誓の御柱」は五角柱の青銅製の塔であり、それぞれの面に五箇条の御誓文が彫られている。この「誓の御柱」が近代化遺産だ。何を誓い、わざわざ建てたのか……。
『滋賀県警察部長水上七郎の主唱によって、大正13年(1924)9月に起工、難工事の末14年8月に竣工、翌15年4月15日に除幕式を迎えている。』(滋賀県の近代化遺産ー滋賀県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書ー)。70余万人から10万余円の醵金を集め、皇室から下賜金を賜って建設されたという。

五箇条の御誓文とは広辞苑によると『慶応4年(1868)3月14日、明治天皇が宣布した明治新政の五ヵ条の基本政策(以下略)』とある。五箇条は次の通り。現代語で記す。

「広く会議を興し、万機公論に決すべし。」 「上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。」 「官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。」 「旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。」 「智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。」

滋賀県警察部長水上七郎が、「誓の御柱」を建てることを思いついたのは、御誓文発布から56年後のことである。その理由は、『大正末期は、第一次世界大戦以降未曾有の経済発展が見られたが、労働争議や小作争議、普選運動が活発化し、デモクラシー思想や社会主義思想が声高に唱えられた時期であった。そうした中で水上は、分裂・対立しつつある国民諸階層を皇国精神のもとに再び和合させるためには、明治天皇が維新の際、公議世論の尊重・旧習の打破・国際社会への積極的参加等を誓った五箇条の御誓文を、人々が日々仰ぎ見て精神を修養できるような一大モニュメントを、国民的協力のもとに建設することが急務であると考えた。そこで、地理上日本の中心であると言われ、また古来より「信仰の島」として聞こえる多景島が建設地に選ばれ』(滋賀県の近代化遺産ー滋賀県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書ー)たと記されている。
確かに、文化庁によると近代化遺産とは、『幕末から第2次世界大戦期までの間に建設され、我が国の近代化に貢献した産業・交通・土木に係る建造物』であるとしている故、「誓の御柱」は近代化遺産なのだが……、しかし、不思議が残る。
滋賀県警察部長の思いつきで、70余万人からの醵金と皇室からの下賜金も賜ることが何故できたのか? 日本の真ん中らしき場所というだけで、本当に建設地として選ばれたのか? 第2次世界大戦後、大部分のこの類のモニュメントは占領軍によって除去されたはずが、何故、今も存在するのか? 秋田県男鹿市にも多景島の「誓の御柱」と同じ名前、同じデザインのモニュメント(高さ8メートル)があるが、関係があるのか? 「誓の御柱」建設後に、レプリカが頒布され、その精神の普及が図られたというが、その規模は?

少ない知識を総動員し、当疑問符を集め、時の視線で想像してみる……。想うに、こういうことではないだろうか。
明治維新から約50年……、大正デモクラシーが華やかに開花する最中、昭和ファシズムの揺籃期である。国民諸階層を全国各地に皇国精神のもとに再び和合させるために、各地に「誓の御柱」と名付けられたモニュメントが作られた。その大きさからして、多景島は全ての「誓の御柱」の中心だった。第2次世界大戦後、大部分の「誓の御柱」は撤去されたが、彦根市と男鹿市の御柱は遺った(男鹿市以外の「誓の御柱」の存在を調べなくてはならないが)。
それにしても、湖岸から誰も文字を読むことができない多景島に、何故「誓の御柱」なのか……。不思議でなくなる日は訪れるのだろうか。